葺不合神社 御朱印 / 千葉県我孫子市
葺不合神社 御朱印
千葉県我孫子市新木に鎮座する葺不合神社の御朱印です。元々五郎地の森に鎮座し沖田神社とも呼ばれ、旧沖田村の村社であった。御祭神である鵜葺草葺不合尊を祀る神社は、日向地方に多く見えるが、関東ではここだけのようです。拝殿は旧弁天堂で、扁額には「天女宮」と書かれており、天井には弁財天が描かれている。本殿の四面には三韓征伐、八岐大蛇退治、天岩戸の神集い、神武天皇東征を題材にした彫刻がほどこされており、我孫子市の指定文化財となっている。鎮座地は成田街道沿いだが、ここは旧新木城の一角といわれている。しかしながら、新木城の存在自体が不明確であり真偽の程は定かではない。現在は竹内神社の兼務社となっており、御朱印は竹内神社でいただくことが出来る。
葺不合神社御朱印授与場所
竹内神社社務所、初穂料:300円
オリジナル御朱印帳なし
神社情報
■葺不合神社(ふきあえずじんじゃ)
創建年:不詳(伝・奈良朝以前)
御祭神:鵜葺草葺不合尊
旧社格:村社
例大祭:10月1日
参拝日:平成29年1月15日
葺不合神社社殿
拝殿は、明和二年(1765)に創建されたもの。仏殿形式で弁財天を祀る社殿であった。正面には「天女宮」と書かれた扁額があり、天井には弁財天の彩色画が描かれている。
葺不合神社本殿
明治30年に建てられた本殿の壁4面には、三韓征伐、八岐大蛇退治、天岩戸の神集い、神武天皇東征を題材にした見事な彫刻がほどこされています。
葺不合神社御由緒
葺不合神社は、国道三五六号線(旧成田街道、旧水戸道中)の北側の起伏に富んだ場所に設けられています。神社境内には湧き水を集めた弁天池があり、江戸期には弁天堂に市杵島比売命(弁才天)が祀られ「沖田の弁天さま」として賑わったと伝えられます。現在の拝殿は江戸期の弁天堂で、明和二年(1765年)の棟札が見つかっています。明治には厳島神社と改名しました。明治三九年(1906年)以降進められた神社合祀政策によって、東北約三〇〇メートル(新木近隣センター付近)にあった葺不合神社と二の鳥居がこの地に移築され、元の葺不合神社を本殿、厳島神社本殿を拝殿として「葺不合神社」と改称し、現在に至っています。
拝殿は方三間の入母屋造で、正面に一間の向拝を設けています。明治時代に背面に格子扉を設けて神社としていますが、長押より上に施された獏や唐獅子などの装飾彫刻は江戸時代中期の仏堂の特徴を示しています。なお内陣正面には天女を描いた華やかな彩色画が伝えられています(盤面の彩色は剥落が顕著でしたが、残っていた塗料をもとに復元されたものです)。
本殿は明治三十年(1897年)に建築されたもので、一間社流造の小振りな社殿ながら全体に豊かな装飾彫刻が施されます。胴羽目彫刻は八岐大蛇、天岩戸など神話を題材としますが、脇障子には明治時代の軍人も認められます。この彫刻は江戸以来の彫物大工の系譜を受け継ぐ二代目後藤藤太郎(竜ヶ崎住、文久元年〜昭和六年)の手によるものです。藤太郎は利根川流域で彫物大工として活躍し、我孫子市内では長福寺大師堂(下新木)、正泉寺本堂(湖北台)、延命寺虚空蔵堂(布佐)で彫刻を手がけています。
葺不合神社は下新木地区の氏子、住民により大切に維持管理されて今日に伝えられてきました。本殿、拝殿、二の鳥居は平成二十四年三月に我孫子市指定文化財となっています。境内掲示板より
葺不合神社鎮座地
所在地 :千葉県我孫子市新木1812
最寄駅 :JR成田線新木駅
駐車場 :なし
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:―
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