将門神社 御朱印 / 千葉県我孫子市
- 2018.01.07
- 更新日2018.01.15
- 千葉県 御朱印 我孫子市
- 下総国, 千葉県, 将門伝説, 将門信仰, 平将門, 御朱印, 成田山, 成田線, 我孫子市, 日秀観音, 桔梗, 相馬御厨, 神田明神, 胡瓜
将門神社 御朱印
千葉県我孫子市日秀に鎮座する将門神社の御朱印です。御鎮座地である日秀は、旧日秀村の中心地であり将門神社は日秀村の村社であった。いまだに将門伝説が残る地であり、神社そばには将門の井戸もある。さらに将門が幼少の頃、この地域で過ごしたという伝承も残っている。近くには日秀観音もあり、将門神社とともに将門信仰の中心的存在となっている。1月中旬に行われるおびしゃでは、将門神社では成田に向かって矢を射る。これは、将門調伏を成田山が祈っていたことからといわれている。さらに、今でもこの地域の人々は、成田山は詣でない。また、桔梗は植えず、植えても咲かず、胡瓜は輪切りにしないなど、将門伝説が残る地に浸透している将門伝説に纏わる禁忌を守っているといわれている。千年たった今でも、成田山とは和解が出来ていないようである。昨年、拝殿が新築され、平家の家紋揚羽蝶も設置されました。御朱印は本務社である天照神社にていただくことが出来ます。
将門神社御朱印授与場所
天照神社社務所、初穂料:300円
オリジナル御朱印帳なし
神社情報
■将門神社(まさかどじんじゃ)
創建年:天慶三年(940年)
御祭神:平将門公
旧社格:村社
例大祭:7月14日
参拝日:平成29年12月15日
平成30年1月2日
将門神社社殿
社殿は大戦後に故あって解体し、小さな本殿が石組みの上に建っている。ご神体は氏子たちが当番でお守りしてきたとのこと。
将門神社御由緒
旧日秀(ひびり)村の村社将門神社は字上宮前、手賀沼を眼下に望む丘陵の南端に鎮座している。
祭神は平将門。明治四十一年(1908)に字掘込(ほつこめ)にあった無格社水神社(祭神は水波賣命)を合祀して将門社から将門神社となった。
この日秀の地は平将門に関する伝承を今に伝える我孫子市内でも特記すべき所である。
神社の由来は、天慶三年(940)将門が戦没するや、その霊は遺臣等と対岸手賀沼村明神下より手賀沼を騎馬にて乗り切り、湖畔の岡陵に登り朝日の昇天するを拝したということから、村人がその地に一字を奉祀したのが将門神社の起こりであるという。
日秀(ひびり)の地名についても、将門の霊位が日の出を拝したからとも、またその遺臣である日出弾正なる者がこの地に隠栖(いんせい)したことから、日出(ひいで)村と呼ぶようになったとも伝えられているが、日出村の呼び方は元禄十五年(1702)の水神社の石祠(現在境内鳥居脇に遷されている)にも認められるが、寛文十二年(1672)の庚申塔には「日秀村」と刻まれている。江戸初期には両様に用いられていたことがわかる。
また将門は幼少のころをこの地で過ごしたとの伝承、日秀では桔梗を植えても花が咲かないしまた植えない(愛妾桔梗御前の裏切りによって将門が討たれたとの伝説にちなんだもの)。さらに胡瓜(きゅうり)は輪切りにしない(将門の紋所である九曜紋が胡瓜を輪切りにした状態に似ていることから)、成田不動尊へは参拝しない等、将門とのかかわりを色濃くのこしている地である。
最近になって、神社西方の日秀西遺跡が発掘調査され、古代郡衙(ぐんが)跡と考えられるに及び、この将門神社及び東方低地にある将門の井戸とのかかわり等、古代から中世への史実と伝承の谷間も鮮明されることであろう。
祭礼は正月六日のおびしゃと七月十四日の例祭を祇園(ぎおん)祭りと称し、初日の鎮守氏神における幟立から始まり三日間にも及び、また収穫を祝う秋祭りも行われていたが、現在は七月十四日の例祭のみとなっている。この日は「みやなぎ」と称し神社を清掃後、神主、氏子総代等の役員当番により神前にて玉串を上げ、当屋において直会の宴がある。その時当番の家の門口へ「奉納将門大明神」(天保六年正月奉納)の幟を立てるのでそれとわかる静かな祭りとなっている。
将門神社由来より
将門神社鎮座地
所在地 :千葉県我孫子市日秀131
最寄駅 :JR成田線湖北駅
駐車場 :なし
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:https://masakadojinjya.jimdo.com/
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