小御門神社 御朱印 / 千葉県成田市
小御門神社 御朱印
千葉県成田市に鎮座する小御門神社の御朱印です。建武中興十五社の一社で藤原師賢公を主祭神としています。建武中興十五社とは、建武中興(建武の新政)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社を指します。後醍醐天皇を主祭神とする吉野神宮をはじめ、鎌倉宮、井伊谷宮、八代宮、金崎宮などの十五社で「建武中興十五社会」を結成しています。
小御門神社は御祭神藤原師賢公は後醍醐天皇の身代わりとして比叡山に登り幕府と対峙したことから「身代わりの神」として、交通安全や航空安全・病気平癒に御利益あるとして信仰されています。
小御門神社を囲む森は「小御門神社の森」とよばれ、千葉県指定天然記念物となっています。明治時代の社殿造営とともに植栽された人工林が大部分を占め、シラカシ、クスノキ、スギ、クロマツ、モミなどから構成されており、植栽後約100年が経過し、いずれも幹囲り1.5m以上、樹高15m以上の大木に成長し、荘厳な外観を形成しています。
小御門神社へは電車の場合、最寄り駅はJR成田線滑河駅になります。駅からはバスか徒歩になりますが、バスは本数が少ないため、徒歩での移動を覚悟されたほうが良いと思います。御朱印は社務所にていただくことができます。
小御門神社御朱印授与場所
社務所、初穂料:300円
オリジナル御朱印帳なし
神社情報
■小御門神社(こみかどじんじゃ)
創建年:明治15年(1882年)
御祭神:贈太政大臣藤原師賢公(文貞公)
旧社格:別格官幣社・別表神社
例大祭:4月29日
参拝日:平成28年4月29日
平成29年2月26日
小御門神社社殿
小御門神社御由緒
鎌倉時代末期。藤原師賢公は内大臣藤原師信の御子として、清華家の家格を有する花山院家にてお生まれになりました。公は若くして、気概に富み、学が深く、後醍醐天皇は殊のほか寵愛なされました。即位されてからは権中納言に任ぜられ、側近として常に傍に侍り、奉持されておりました。
元弘の変(1331年)では、討幕の計画が漏れ、後醍醐天皇は皇居を脱し、笠置山に逃れられました。その際に、天皇が兵を参集する時を稼ぐため、そして比叡の僧兵の協力を得るため、公は後醍醐天皇の身代わりとなり、比叡の山に登り幕府軍を迎え討ちます。天皇からは赤い龍紋つきの御衣を賜り、天皇に成りすまして幕府軍を引きつけます。「小御門」と呼ばれる所以ではないでしょうか。
その後幾度の激戦の末、六波羅探題へと引き渡され、後醍醐天皇は隠岐、師賢公は下総の国へと配流されることとなります。
そして、1332年10月29日、公は32歳で名古屋の里(現在の成田市名古屋)にて薨去されました。名古屋の地に着き、十日後のことであったそうです。そのため、現在では「十日屋敷」と呼ばれ、小御門神社近くに屋敷跡が残っております。翌年1333年、後醍醐天皇は隠岐を脱し、悲願であった討幕を成し遂げられたのです。
天皇は各地に散ったものを召し還されましたが、公のみは戻られることはありませんでした。天皇は非常に心を痛め、そこで公に太政大臣を贈り、文貞公という諡を賜りました。後に後醍醐天皇が行った国づくりを、建武の新政または建武の中興と呼びます。建武中興十五社は後醍醐天皇の建武中興に尽くした、南朝側の皇族、武将などを主祭神としてお祀りしております。
その後、明治天皇は国家に功績を挙げた忠臣を称え、明治15年、国の守り神として小御門神社を創建せられ、別格官幣社に列せられました。
小御門神社HPより
小御門神社鎮座地
所在地 :千葉県成田市名古屋898
最寄駅 :JR成田線滑河駅
駐車場 :あり
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:http://komikado.or.jp/
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