関宿香取神社 御朱印 / 千葉県野田市

関宿香取神社 御朱印 / 千葉県野田市

関宿香取神社 御朱印



千葉県野田市関宿台町に鎮座する関宿香取神社の御朱印です。町名をとって台町香取神社とも呼ばれています。神社のある台町は中世以来関宿城の城下町(町人町)であり、中世の文書では「台宿」と記載されています。ほぼ一直線に延びる台町の町並みは、街道の両側に短冊型の町屋が建ち並び、その間に中世以来の由緒を有する寺社が建立されています。この中でも台町の鎮守社と位置付けられていたのが関宿香取神社です。『関宿町誌』によれば、慶長20年(1615年)の創建と記されていますが、すでに戦国期末に建設・整備され、城下町として成立・成熟していた台宿の鎮守社にあたる神社が創建されていなかったとは考えがたく、香取神社の創建は戦国期に遡る可能性があります。江戸時代より行われている天王祭は隣町の江戸町天王祭礼とともに江戸の天下祭にたとえられるような華やかな都市祭礼でした。城下町・関宿の文化の痕跡を今に遺しており、神輿を横方向に大きく揺らす勇壮な「もみかた」が特徴です。御朱印は書置きになりますが社務所でいただくことが出来ます。

 

関宿香取神社御朱印授与場所

社務所、初穂料:300円
オリジナル御朱印帳なし

 

神社情報

■関宿香取神社(せきやどかとりじんじゃ)
創建年:慶長二十年(1615年)
御祭神:経津主命
旧社格:村社
例大祭:10月9日
参拝日:平成29年1月29日
平成29年5月4日

 

関宿香取神社社殿

 

関宿香取神社御由緒



関宿町が天正十八年(1590)久松松平因幡守康元が入城以来二十三代久世廣業迄約二百八十年の間、城下町・宿場町として栄えて来た事は、よく知られるところであるが、代々の藩主が敬神崇祖の念に篤く、特に天王祭が盛儀として実施されるようになったのは古記録によると、十代藩主板倉阿波守重郷の明暦三年(1657)の頃に「この年六月七日・十二日御領主様の代佐武門前牛頭天王神輿御入御、国家安全・武運長久・五穀豊穣の御祈祷御祭禮相勤め御領内順行仕る」と。又神輿警護の役人・神官・氏子等に御酒・御赤飯を給る云々」とあり「以後代々これに倣ふ」と記されていることから、江戸時代の初めから行なわれていたことが解る。
天明六年(1786)藩主久世隠岐守廣誉の時「六月の天王祭町に過ぎたる華麗さなり」とある。この時代は所謂「天明の飢饉」の時に当るが、敢えて天王祭を行なったのは、災厄を拂ひ、領民皆福を願ってのことであったと見るはひがめだろうか。いついかなる時にも敬神崇祖の念を失うことのなかった先人の心情が胸をうつ。伝統とは継続であるという教えでもある。時移り平成七乙亥年(1995)十一月十二日、関宿城御三階楼を模して建設された、「千葉県立関宿城博物」の開館を機に、台町・江戸町の江戸時代より伝わる神輿二基を古式に則って渡御を行う。八坂神社の旗幟を先頭に、五色旗・神馬・榊・天の鉾旗を擁し宮司新納茂外二名の神官の先導により「わしよわしよ」と阿呍の掛声と共に門前に進み、御祈祷御修祓の後未だ嘗て見ることのなかった二神輿の相揉みが奉納され、當に特筆すべき盛儀であった温故知新の心も新たに茲に浄財をもとに記念碑を建設し、後世に我が町にかかる伝統祭礼行事のあることを知らしめ、この灯を消すことのないことを祈り伝えおくものである』

建碑之由来より

 

関宿香取神社鎮座地

所在地 :千葉県野田市関宿台町2712
最寄駅 :東武アーバンパークライン川間駅、東武日光線幸手駅
駐車場 :あり
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:―

 

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