大洞赤城神社 御朱印・御朱印帳/群馬県前橋市

大洞赤城神社 御朱印・御朱印帳/群馬県前橋市

<大洞赤城神社 御朱印>

赤城神社御朱印

群馬県前橋市、旧富士見町赤城山に鎮座する大洞赤城神社の御朱印です。正式名称は赤城神社ですが、他の赤城神社と区別するために大洞赤城神社とも呼ばれています。関東一円に約300程度ある赤城神社の本宮と推測されるうちの1社です。大沼の対岸に元宮(旧社地)が、赤城山(地蔵岳)山上に山宮があります。社地は、1970年に旧社地の大洞から移された。現在の社殿はその際の再建されたものです。赤城山頂大沼の湖畔に鎮座しており、紅葉の名所としても知られています。社殿、社務所とも朱色が鮮やかで、一度見ると忘れられない綺麗な建物です。赤城大明神赤城山と湖の神さまをお祀りする神社ですが、赤城山自体が神秘的な景観をしていることから山岳信仰が生まれたとも言われています。近年ではパワースポットとしても有名です。

赤城神社では御朱印の書き手が数人いるようで、その時々でいただける御朱印が若干変わります。今回いただいた御朱印は「赤城神社」の神社名はありませんでしたが、昨年参拝したときは神社名を書いていただきました。これもご縁ということで、ありがたく頂戴いたしました。

 

赤城神社御朱印授与場所

授与所、初穂料:300円
オリジナル御朱印帳あり、初穂料:2,000円、1,800円

 

<赤城神社 御朱印帳>

赤城神社御朱印帳

十二単デザイン 初穂料:2,000円

 

赤城神社御朱印

社殿デザイン 初穂料:1,800円


【神社情報】
■大洞赤城神社(だいどうあかぎじんじゃ)、正式名称:赤城神社
創建年:不詳
御祭神:赤城大明神、大国主命、磐筒男神、磐筒女神、経津主神、豊城入彦命
御神徳:縁結び、恋愛運、子授け、安産
旧社格:式内社(名神大)論社、上野国二宮論社、郷社
例大祭:5月8日
参拝日:平成27年11月15日
     平成28年11月5日


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*社殿*

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大洞赤城神社御由緒

赤城山頂に鎮座するかつての山宮である赤城神社(元宮)は大洞赤城神社の名で親しまれています。大同元年(806年)に大沼のほとりに社殿を移し建て替え、この年号にちなみ、赤城神社の鎮座していた大沼南端を大洞と呼ぶようになりました。平安時代中期の『延喜式神名帳』には名神大社として「上野国勢多郡 赤城神社」の記載があり、その論社とされています。論社には赤城山頂に鎮座する当社のほか、山腹の三夜沢赤城神社、山麓の二宮赤城神社がありますが、どの神社かは確定しておりません。江戸時代になり1601年(慶長2年)、厩橋(前橋)城主として入封した酒井重忠が鬼門に当たる大洞赤城神社を篤く信仰し、歴代藩主もこれに倣った。重忠は「正一位赤城大明神・赤城神社」の改築を幕府に申し出、その工事を完成したという。次の藩主・酒井忠世は、相殿に徳川家康を祀った。また酒井家により別当が前橋の寿延寺となった。寛政年間には三夜沢赤城神社と「本社」「本宮」の文言を巡って争ったという記録が残っている。明治時代の廃仏毀釈により、寿延寺と切り離され、地元で廃仏毀釈を進めた人々の中から新たに神官を任じた。また三百年以上にわたる赤城山の厳しい気候によって荒廃した社殿の改築が企図される。しかし実現しなかった。明治20年から43年の間に、小沼の豊受神社、小鳥ヶ島の厳島神社、黒檜山頂の高於神社を始めとして、赤城山内数社が合祀された。近代社格制度においては郷社に列した。三夜沢・大洞・二宮の三社を合わせて国幣中社にしようとする動きもあったが、終戦により実現はしなかった。1970年(昭和45年)、現在の小鳥ヶ島(厳島神社跡地)に遷座し、社殿が現存するものへ再建された。この際に小鳥ヶ島の環境を破壊するとして反対運動が起こっている。2006年(平成18年)大洞御遷宮千二百年祭を機に大修復がなされた。

Wikipediaより一部引用

 

大洞赤城神社御鎮座地

所在地 :群馬県前橋市富士見町赤城山4-2
アクセス:JR両毛線前橋駅下車バスで90分 あかぎ広場前下車 徒歩10分
駐車場 :あり(無料 50台程度)
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:http://akagijinja.jp/

 

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<神社画像>

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