吉田神社 御朱印 / 茨城県水戸市
吉田神社 御朱印
吉田神社は常陸国において、鹿島神宮(一宮)、静神社(二宮)に次いで三宮に位置付けられたことから、墨書きで「常陸第三宮」と書き入れられるようです。
茨城県水戸市に鎮座する吉田神社の御朱印です。水戸市南部の通称「朝日山」と呼ばれる丘の上に鎮座する。『延喜式』神名帳の那賀郡七座のうち、酒列磯前神社とともに名神大社に列せられている。
『常陽式内鎮座本紀』『常陸二十八社考』によると、日本武尊が景行天皇14年東征に赴く途中に、この地(朝日山)で休息したといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建とされている。創祀年代は不詳であるが、吉田神社所蔵の古文書によれば、正安4年(1301年)に鎮座以来800余年を経過した旨の記載が見える。
ちなみに『常陸国風土記』には日本武尊の那賀郡での説話は見当たらず、この伝説上の英雄が主神とされるようになったのは、平安初期に官社に列せられたからのことと推察される。
江戸時代には、水戸藩から篤く崇敬を受け、特に徳川光圀公は本殿、社殿の多くを修造した。徳川斉昭は水戸藩総鎮守として『大日本史』と社領100石を寄進している。
参道には「朝日三角山遺蹟」として、祭神の日本武尊が休んだという場所が聖別されている。この三角山はかつて本殿が営まれた跡とも、祭祀の跡ともいわれる
地元では「吉田さん」の愛称で親しまれ、10月15、16日の例大祭では、那珂川まで盛大な神輿渡御が行われます。境内には光圀公お手植えの「榊」や「縁結び笹」があり、この笹の葉を結ぶと良縁に恵まれると昔から言い伝えられています。
御朱印授与場所
御朱印は参集殿にある授与所でいただくことができます。
授与所:9:00~17:00
初穂料:300円
オリジナル御朱印帳なし。
吉田神社ではおみくじで「凶」を引くと授与される御朱印帳がある。御朱印帳には「災い転じて福となす」という意味の「転禍為福」の文字が書かれている。
※筆者は「大吉」だったため頂戴していない。「凶」を狙って「大吉」を引いたので、巫女さんも思わず笑いが出ていました。
神社情報
■吉田神社(よしだじんじゃ)
創建年:不詳
御祭神:日本武尊
旧社格:県社、延喜式内名神大社、常陸国第三宮
例大祭:10月15日に近い金、土、日
参拝日:平成30年9月1日
吉田神社社殿
徳川光圀が寛文6年(1666年)に本殿・拝殿ほか多くの社殿を修造した。しかしながら、昭和20年(1945年)には、空襲で社殿全てが焼失した。昭和23年(1948年)に社殿が再建され、その後の改築・修理を経て現在に至っている。本殿は神明造銅板葺、拝殿・幣殿は入母屋造銅板葺です。
御由緒
尊が東夷平定の帰途、常陸を過ぎて兵をこの地朝日山に留めて憩わせた故事を以って、この地に神社を創建し尊を奉祀した。尊の御休憩の場所は今日も三角山と称し境内見晴台の一角を占め、神聖な処として伝え残されている。
創建の年紀は詳らかではないが、当社の古文書によれば正安4年(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当たるとあるので、これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代の間に遡るもののようである。
後に後鳥羽天皇は建久4年(1193)国司に勅して社殿を改造せられ12月遷宮式を行い、これより後は鹿島神宮(旧官幣大社)の遷宮についで当社の遷宮が行われるのを例とした。次いで亀山天皇は弘長元年(1261)2月20日本社の神位を従一位より正一位に進め、後陽成天皇の父、誠仁親王は天正4年(1576)に御手ずから第三宮の三字を記され、大宮司田所清恒に賜り当社の扁額とされた。更に後光明天皇の慶安元年(1648)10月には、大将軍源家光が「吉田宮印」の朱印を下され、権中納言源頼房は水戸に封ぜらるるや尊の功烈を慕われ、その子贈大納言源光圀に至っては、尊崇最も敦く旧制に従って本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を造営し、八乙女・神楽男五人を置き盛大な斎祀を行われた。
~吉田神社HPより~
鎮座地
所在地 :茨城県水戸市宮内町3193-2
最寄駅 :JR常磐線水戸駅下車 バスで約10分
駐車場 :あり
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:https://yoshidajinja.jp/
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