忍東照宮・諏訪神社 御朱印/埼玉県行田市
<忍東照宮・諏訪神社 御朱印>
埼玉県行田市に鎮座する忍東照宮・諏訪神社御朱印です。諏訪神社は後鳥羽天皇の建久年間(1190)に忍三郎ら忍一族が創建したと言われています。また、成田親泰が延徳3年(1491)に忍城を構築した頃に創建されたとも伝えられています。戦国時代、豊臣勢の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された要害堅固な城で関東七名城のひとつに数えられた忍城内に鎮座しておりましたが、明治維新後に、現在の地に遷座しました。
忍東照宮は、松平忠明公が寛永2年(1625)、大和国郡山城内に創建、松平家の移封に伴い各地に遷座、文政6年(1823)に桑名藩より忍藩への移封により、忍城内に遷座しました。
東照宮と名乗るだけあって小さいながらも落ち着いた佇まいで趣のある神社です。東照宮と諏訪神社が同一境内にあるという珍しい組み合わせではありますが、それぞれの神社の創始、および忍城との関係性からこれもありかと思います。ちなみに忍城は映画「のぼうの城」の舞台となったことでも有名です。
忍東照宮・諏訪神社御朱印授与場所
授与所、初穂料:300円
オリジナル御朱印あり、初穂料:800円(汎用と思われる)
忍東照宮・諏訪神社御朱印帳
【神社情報】
■忍東照宮(おしとうしょうぐう)
御祭神:徳川家康公、松平忠明命、八幡大神
旧社格:村社
例大祭:4月17日
参拝日:平成28年7月30日
■忍諏訪神社(おしすわじんじゃ)
御祭神:建御名方命、八坂刀売命
例大祭:7月27日
参拝日:平成28年7月30日
*社殿(忍東照宮)*
*社殿(忍諏訪神社)*
忍東照宮御由緒
当社は、家康公の娘、亀姫が父の肖像を頂き、後に子の松平忠明公に伝え、忠明公が寛永2年(1625)、大和国郡山城内に社殿を造営して、肖像を安置したことに始まる。以来、藩主・藩士崇敬の社となった。その後、移封の都度遷座され、慶応4年(1868)鳥羽・伏見の戦の折、大坂蔵屋敷内の東照宮を、当社に合祀した。
社領は、郡山当時より百石を受け継ぎ、明治維新まで続く。その地は、埼玉古墳群の辺りであったと・伝えられている。
明治4年(1871)、藩主東京移住のために祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士ら相計り、同7年に下荒井の地より、本丸の一部である諏訪郭内の忍東照宮境内一隅に本殿を移し、同33年に藩祖、松平忠明公を配祀した。現在の拝殿は昭和五年の造営である。境内案内板より引用
忍諏訪神社御由緒
当社の鎮座したのは、82代後鳥羽天皇の建久(1190年頃)の昔、忍三郎・忍五郎家時等の一族が、館・塁等を築き居住した頃、と言い伝えられている。又「持田村誌」 には、成田親泰が延徳3年(1491)に忍城を構築し、この時、持田村鎮守諏訪社(持田諏訪神社)を城鎮守としたのが、当社であると伝えている。その後、成田氏代々の崇敬があり、寛永16年(1639)城主となった阿部忠秋は城郭を修築し、併せて正保2年(1645)、当社の本殿を造営、寛文12年(1672) 拝殿を新たに建立した。現在の社殿は昭和36年の造営である。
文政6年 (1823)、松平忠義は伊勢桑名から移封するに当たり、城内字下荒井の地へ東照宮を、史に城内へ多度杜と一目蓮杜を勧請した。これらは明治6年、城郭取り壊しの際、当社境内に移される。又、城内各所にあった小両、科斗杜(風の神)・八幡杜・久伊豆社・荒神社・春遺稲荷大明神・神明杜・二の丸稲荷大神・天神社・両棟稲荷大明神の9社も同時に当社へ配祀された。境内案内板より引用
忍東照宮・諏訪神社鎮座地
所在地 :埼玉県行田市本丸12-5
アクセス:秩父鉄道行田市駅下車 徒歩15分
駐車場 :あり(約10台)
拝観料 :無料
拝観時間:境内自由
公式HP:http://www.saitama-jinjacho.or.jp/shrine/10031/
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